BOOM BOOM BEAT
Producer&Writers

Mauro Farina
Position
Producer,Artist
Carrier
TIME RECORDS&DISCOMAGIC→FLEA→A-BEAT C

全てのユーロビートは彼から始まったといっても過言ではない、業界のゴットファーザー的存在のプロデューサーです。 イタリアのブレシアで生まれた彼は幼い頃からすでにギターの弾き方をマスターしていたというくらい音楽に強い興味をもち、11歳の時に初めてのバンド「ALBATROS」を結成、ビートルズのカバーをしていたそうです。 大学卒業後も音楽への情熱はやまず、プロとして活動することを決意。CARAVANというダンスバンドに参加。このバンドではBOBBY O,Giorgio Moroderなどのハイエナジーヒットソングをカバーしていて、後の彼のサクセスストーリーにおいて重要な経験となりえるのでした。

その頃彼はベローナに移住し生涯のパートナーといえるGiulano Crivelenteと出会い、バンド活動の傍らポップスを制作していたレコーディングスタジオで修行し、さらに一緒に曲も大量に書き上げるなどめまぐるしい日々をすごし、81年、ついにSaifam SRLとFactory Sound STUDIOを設立しました。

すでにハイエナジーという音楽に目をつけていた彼は、それにイタリア風のメロディとアレンジを加えた”イタロディスコ”という分野を確立。MEMORY RECORDSをはじめとする数々のインディーレコード会社からリリースを開始しました。やがてその中のひとつ、Sandro OlivaとGino Cariaと組んで制作した「HEY HEY GUY/KEN LAZRO」が世界中で40万枚をセールスする大ヒット。しかしその初めての成功で確信をもった彼はより高い目標をめざしました。またこの時期にソロシンガーとしてCBSからメジャーデビューしていたのも有名な話です。

84年、FarinaはDiscoMagicの経理担当者でTIME-RECORDSという新しいレーベルの責任者になっていたGiacomo Maioliniと出会いました。Maioliniもまたハイエナジーという分野に可能性を探っていた人物で意気投合した彼らはパートナーシップを結び、DiscoMagicとTIMEに楽曲提供を開始しました。直後彼はALEPHという結成されたばかりのグループのプロデュースを担当。「FIRE ON THE MOON」そして「FLY TO ME」が世界中でメガヒット、一躍時の人として注目されました。TIMEとのパートナーシップは88年まで続きますが、その間もFRED VENTURA、VANESSA,SOPHIE、ROSEなどの有名アーティストを育て上げ、TIME RECORDSの基礎を固め上げました。

さて、TIMEと袂をわかった後、FLEAレーベルへ移籍。すでにハイエナジーブームが世界中で終わり、ニーズが日本だけになっていたことを敏感に察知した彼らはTIMEとは全く違う音作りを目指し、その最も有名な曲が「BOOM BOOM DOLLAR」。ユーロ界に不滅の金字塔を打ち立てました。後も「BAD DESIRE」、「EVER&EVER」など彼らの勢いはとどまることをしらず、次に目指したのは自らのレーベルを立ち上げること。すでに有り余るほどの財力を誇っていた(^^;彼にとってはたやすいものであったらしくFLEAと共同でASIA RECORDSを設立。文字通り日本だけをターゲットに合わせたこのレーベルは「NEW YORK CITY/OSCAR」を筆頭に「THAT'S EUROBEAT」のメインレーベルとして活動、FCFレーベルなども設立しユーロ市場の制圧を目指しますが、A-BEAT Cレーベルの台頭、またTIMEも当時FarinaのサウンドエンジニアだったLaurent Gelmettiをスカウトして勢いを盛り返すと、ユーロビートの志向の変化と合わせてさすがの彼らも作風の面でついていけず徐々に失速し彼らの名はシーンから遠ざかりました。

しかしその衰退ぶりとはうらはらにその間に彼は経営者としてその辣腕ぶりを発揮。Favio Turatti、Arduni&Puntilloなどの有名ライターを続々と引き抜き、ヨーロッパ、南米、アフリカといった地域別にレーベルを乱立。様々なダンスミュージックをその地域の趣向に合わせて輸出しまくり、中でもDR. ZIVAGO D.J. Mikoといったアーティストがゴールドディスクを獲得するなどユーロビートの帝王だけではなくダンスミュージック界全体にその名を轟かしているのでした。

ユーロビートでは94年にAVEXとライセンス契約し新レーベル
「BOOM BOOM BEAT-3B-」を設立。第一弾「VIRTUAL LOVE」がヒットし過去の栄光に恥じない彼の底力を見せ付けました。さらに2000年にはVictorと組んで新コンピレーション「ユーロパニック!」のメインレーベルに。自らのアーティスト名「Mark Farina」や「FCF」を復活させるなどますます意気盛んなところをみせてくれます。その分AVEXとの関係は著しく悪化しましたが(^^;、日本以外でもアメリカでの成功を狙っているよう新プロジェクトが続々と進行しているそうです。

<関連>Falcus&Vangok
Farina&Crivellenteさんの変名プロジェクトです。TIME、DiscoMagic,FLEA,ASIAなどの時期に頻繁に使われていました。なぜこんなことをしてたのかは不明。
<関連>F.C.F
Mauro Farinaの”F”、Guliano Crivelenteの”C”、そしてASIA RECORDSのA&RだったFlrolian Fadingerの”F”の頭文字からとったプロジェクトチームです。当時は”ユーロビート界最強のプロデューサーチーム”と盛んに宣伝され、彼らの名は急速に広まりました。Gulianoさんは現在Saifam傘下のレコード会社の社長に、FlorianさんはSaifamのドイツ法人のマネージャーに就任しています。
<関連>Mark Farina
Mauro Farinaさんがソロで活動するときのアーティストネームです。最初はCBSレコードでデビューしましたが、その後は彼の活動と合わせてレーベルを転々としています。「CHA CHA CHA」「ROSSIAN」などが有名で89年には「BIG」というアルバムがリリースされました。
<関連>Saifam S.R.L
彼が社長をつとめるレコード会社。独立系のダンスレコード会社ではイタリア一、二を争う規模で、ヨーロッパからアメリカ、中南米までと幅広い地域に楽曲を送り込んでいることが特徴です。

 

Robert Gabrielli
Position
Producer,Composer
Carrier
TIME

BOOM BOOM BEAT、ASIA RECORDSといったSaifamのユーロビート部門の現場監督。(なんてたってFarinaさんは忙しすぎて電話で指示することがほとんどだからね(苦笑)。 彼は最初Accatino率いるLIVE Musicの一員としてTIME RECORDSに楽曲提供をしていました。とにかく哀愁メロディをつくらせたらおそらくトップレベルに位置するだろうというくらいの技巧派で、「GIVE ME THE NIGHT」、「」などのヒット曲に名を連ねています。TIME期のLIVE Musicサウンドの特徴である”哀愁ハイパー”の哀愁の部分を担当していたのはこの人にほかなりません。しかし世間ではAccatino&Rimontiだけがクローズアップされていて、彼の名はあまり広まることはありませんでした。

しかし見ていている人は見ているもので(笑)、LIVE Musicが独立しようとしたその時期に当時ユーロビートの優秀なライターを探していたMauro Farinaに引き抜かれ、プロデューサーに昇格。以後ずっとユーロビート部門の責任者として活動されています。第一弾となった「CAUSE THE NIGHT」で見事その哀愁の才能を爆発させました。

 

Ozvaldo Pizzoli
Position
Composer,Artist
Carrier
SAIFAM

彼は元々イタリアの某インディーレーベルでロックバンドのシンガーを務めていた人で、レコーディングエンジニアでもある人です。この方もMauro Farinaに見初められ、Saifam入り。Robert Gabrielliとコンビを組んで楽曲制作に励んでおられます。