HI-NRG ATTACK Producer&Writers



Claudio Accatino
Position
Producer
Carrier
TIME RECORDS&DISCOMAGIC→FLEA,ASIA→TIME→LIVE MUSIC

HI-NRG ATTACKの首領にして、ベテラン中のベテランとしてユーロ界に君臨するプロデューサー、しかしそのサウンドは斬新な発想に富んでいて、常にユーロビートの最先端を目指しているといっても過言ではありません。彼はすでに70年代から音楽業界で働き始め、80年に入ってパートナーのFederico Rimontiと共にLIVE MUSIC STUDIOを設立。イタリア国内向けの音楽をつくっていましたが、その頃Mauro Farinaと出会い、運命を大きく変えることになりました。

Farinaのパートナーとしてユーロビートに関わることになった彼は共作という形で「AWAKA BOY/TAJANA」「BOOM BOOM DOLLER」などのユーロ史に名作を連発。他にもRADIORAMA、MICHELFORTUNATIなど当時の有名なアーティストの楽曲にも顔を出し、哀愁主体のイタロディスコ調が主流だった当時のユーロビートに明るく口ずさみやすいメロディを持ちこみ、現在のユーロビートの源流を築いていくのでした。

FarinaとのパートナーシップはASIAレコードまで続きますが 活動が徐々に失速しはじめた92年、今度はTIMEレーベルで専属契約を結ぶことになりました。ここではAdditinal Producerとして特別な待遇を受け、彼らが関わった曲は事実上セルフプロデュースによるものでした。そのサウンドもFarina時代とは一線を画す哀愁ハイパー路線に転向。「SUGAR BABY」、「DOCTOR DOCTOR」など大ヒット曲を量産。後の作風の源流ともいえるエッジの鋭いシンセを使い始めたのもこの頃からです。

しかし既に彼らは単独でレーベルを立ち上げることを計画していたようです。約2年のTIMEへの楽曲提供でさらに名声を高めた彼らはついにDISCOMAGIC傘下に自らのレーベル「LIVE MUSIC」を設立。が、その直後にDISCOMAGICが倒産するという事態に陥り、レーベルの存続が不可能に。 わずか2タイトルのリリースに終わりました。 しかしそこでめげないのは彼らの力量たるものか、すぐ後に大手レコード会社「DIG IT International」 とパートナー契約。ここに「HI-NRG ATTACK」が誕生するのでした。

同時にサウンドもレイブシーンの台頭に合わせてどきついシンセとサンプリングの嵐で構成された衝撃的なサウンドがユーロビートシーンの新しい流れを作り出しました。それはこれまで彼らのやってきたことを全てぶち壊すかのようなものでもありましたが、やはりそれは熟練した経験と常に新しいものを貪欲に追い求める彼らの姿勢がそのままサウンドに乗り移ったものにほかありません。

その後はサウンドそのものの進化と共にアイデア勝負(笑)ともいえる斬新なサウンドをリリース。MAXにカバーされた「TAKE MY GUM」、「TECTORONIC FLIGHT」、「MAD COW」を筆頭に日本ネタをふんだんに用いた「DANCING AT TWINSTAR」「VELFALLE 2000」などがヒットしました。98年にはDIG ITが倒産しアナログリリースが一時ストップするなど再三の危機がありましたが(^^;、自らのパフリッシャー「Rimonti Publishing」を設立。ついに真の意味での独立を果たすのでした。

<関連>LIVE MUSIC STUDIO
アレッサンドリアにあるAccatinoさんが社長をつとめる制作会社です。10年以上前からアナログ盤にすでにクレジットされているので歴史も長い会社だと思います。

 

Federico Rimonti
Position
Producer,Sound Engnner
Carrier
TIME RECORDS&DISCOMAGIC→FLEA,ASIA→TIME→LIVE MUSIC

Accatinoさんのパートーナー、右腕、女房 (笑)。Accatinoさんがサウンド面の総責任者で、彼はちょうどAlbert ContiniさんみたいなA&Rとしてのお仕事や外部との折衝、楽曲の企画とかをやっているみたいです。(もち、作曲作詞とかもしますよ)。またシンガーとしても活動していてFranz Tornadoなどで披露するダミ声が有名です(^^;。 来日経験も多数。

 

Robert Festali
Position
Composer
Carrier
TIME→LIVE MUSIC

HI-NRG ATTACK第三の男。NICK”TURBO”FESTALIとして世間では親しまれています。90年代に入ってから加入した彼は数年の修行の後ユーロビートの第一線に。Accatino,Rimontiという2人の大先輩にもまれながら、トリオで作品を量産、Hi-NRG ATTACKにはなくてはならない存在にまで成長しました。MAXがカバーした「TAKE MY GUM」にはなぜかプロデューサーとしてクレジットされています。



Andrea Girbaudo

Position
Composer
Carrier
LIVE MUSIC

96年にHI-NRG ATTACKが新たに登用した若手ライターの一人。即戦力だったのか、採用直後からすぐにクレジットされています。哀愁曲が得意で一目でわかる独特のメロディラインがコテコテのHI-NRG ATTACKに新たな風を吹きこみました。最近は登場回数も一気に上昇。バリバリ仕事しています(^^;→くわしくはSpecial第二回を参照してください。