90年代前半にTIME-RECORDSを中心に活躍したプロデューサーコンビ。DAVE
RODGERS離脱直後のTIME-RECORDSを支えました。
Robyは7才の時から両親の影響でクラシックを学びそこでピアノをマスターしました。青年時代にはそれと相反するようにプログレッシブロックにぞっこんでDea
Divaという自分のバンドを組みながら音楽業界で働くことを夢見ていたそうです。そんなある日、キーボードプレーヤとしてたまたま呼ばれたところが設立間もないFactory
Sound Studioで、そこで彼はMauro Farinaと出会い、彼に素質を認められ、スタジオで働くことになりました。
1983年、 彼は本格的に作家としてデビュー。ハイエナジーを中心に関わり、作った楽曲はヨーロッパを中心にヒットをおさめ、新進クリエイターとして名を馳せることになりました。その後はユーロビート、ハウスミュージックなど手広く活動していました。
一方のAntonioは14歳の時からおじのサポートをうけて、ギター、ピアノを学びました。20才の時に作家としてデビューした彼はダンスミュージックを中心にいくつかの
習作的な楽曲をリリースしてきましたが、89年、ENERGY PRODUCTIONから「Love Can Do/BLUE
TATOO 」という当時ブームに火がつきつつあったイタロハウスの楽曲がヒットし、得意のピアノの旋律を生かした大胆なアレンジを売りに一気に知名度を高めていました。
そんな彼らは90年にTIME-Studioで出会いました。 それぞれの音楽性に共通性を感じた彼らはたちまち意気投合。ここに今でも続くコンビが誕生したのでした。先輩格のSergio
Dall'Ora 、そしてGelmettiやClara Moroniのサポートを受けながら問題作「BLACK POWER」を皮切りに「YOU
GOT ME GOING CRAZY」、「ARE YOU READY」「WHAT KIND OF CURE」など大ヒット曲を連発。92年までTIME-RECORDSの中心メンバーとして活躍しました。またMedia
RECORDSではMassio Personaと共にMIGシリーズを代表とするテクノトラックでも成功を収めました。
93年には独立し、念願のレーベル「UNION」をTIME傘下で立ち上げるも、金銭問題のトラブルであえなく契約終了。しかしそこへ手をさしのべたのが、かってRobyを育て上げたMauro
Farinaなのでした。Saifam傘下で再出発をはかった彼らはその期待にこたえるべく、ハウスを中心に精力的に作品をリリース。
日本ではなじみがないですが、ヨーロッパシーンではかなりの人気を集めているそうです。現在はSaifamの重要な”パートナー”としてMauro
Farinaの厚い信頼を受けPOPS性に富んだハウスモノを中心に活動されておられます。
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