96年からのTIMEにおいてS.DALL'ORAと共にその中心的役割を果たしたプロデューサー。キャリアは短いもののこれまでのTIMEのサウンドカラーに一大変化をもたらし、またヒット曲を大量生産した点は大きな功績だと思います。
ジャズという意外なジャンルをバックボーンに持つ彼は94年からA-BEAT Cレーベルに所属し、傘下のレーベルでハウス作品を何作か手がけていました。後にTIMEでも使われた「DJ
LUKE PENN Feat.〜」が使われていたのもこの頃からでその実力は既にA-BEAT C首脳陣に高く評価されていました。
ユーロビートでは1994年「MOVE YOUR BODY/LOLITA」でデビュー。この曲は大方の予想を裏切ってSEB60にランク入り。いきなりユーロビートでも頭角を表しました。その後はLUKE
PENN名義でDAVE RODGERSとの共同プロデュースによりDJ NRG、KARENなどのアーティストを中心に多数の楽曲を手がけ、「LOVE
GUN/DEREK SIMMONS」、「GO GO/DJ NRG」、「JUNGLE NIGHT/A-BEAT POWER」など数々のナンバーを制作。この時代のA-BEAT
Cのヒット曲のほとんどは彼の手によるものがほとんどでした。
しかし95年にはユーロビート界では作家大移動がおこり、有能な彼もその波に飲まれるように突然G.Gambogiと共にTIMEと専属契約を果たしました。第一弾となった「MUSIC
FEVER / DJ LUKE PENN Feat. MR.M」はTIMEの哀愁ハイパービートとA-BEAT Cライクなシンセアレンジが融合したサウンドが大ヒット。同時期に出した「BOOM
BOOM PARA PARA/LOU GRANT」等の曲もスマッシュヒットし、彼の名声はTIMEにおいてさらに不動のものへと進化するきっかけとなりました。
その後はG.Gambogi、当時TIMEのハウス部門のプロデューサーであるR.Romaniniらと共にコンスタントに曲を発表、またライターとしてだけではなくプロデューサーとしても名を連ねるようになり、A-BEAT
C在籍時以上にヒット作を量産しつづける絶頂期を迎えました。
J-EURO 化された「MELODY OF LOVE/HELENA」、自身の中心プロジェクトである「HALELUYA
TOKYO/LUKE PENN Feat.TIME FORCE」、爽快な哀愁感覚が味わえる「WAITNG FOR YOU/HELENA」などなど、数を上げればきりがなく、SEBリクエストカウントダウンにおいてもTIME史上初めて常に曲が上位にランクインするという快挙をみせ、事実上Dall’Oraと並ぶトッププロデューサーとして認知されるようになりました。
97年辺りからはよきパートナーであったR.RomaniniがDANCE部門の制作に専念するため、ユーロビートの制作から離れ、新たにL.Boiardi
Serri、Stefano Marcatoという2人の作家を起用、自身はArtistic Producerとして新たなスタートを切りました。曲の方も「BLACK
OUT/OVERLOAD」、「GO GODZILLA GO/IKA」など勢いを落とすことなくヒット作を連発し続けました。
またユーロビート以外の活動もTIME契約後により活発化しました。看板レーベルである「ITALYAN STYLE」、「TIME」においてR.Romanini、M.Rizziらと共に当初はイタロハウス、そしてNEO
DISCO、DANCE POPなど幅広く活動し、ユーロビートで培ったアレンジ技術をこれらのジャンルにおいても応用していました。
99年からは新レーベル「SPY REC」にNicola ferrando、Stefano Marcatoと共に楽曲提供を開始。日本でも「ダンスマニア」等で収録され、そのうち「DAM
DARIRAM」が大ヒットするなど先行きは順風満帆に見えましたがその年の5月に残念ながらTIMEを離脱。元TIMEのA&Rが設立したレーベル「MPL」へと籍を移すことになりました。そして2000年5月にはファーストシングル「LOVE
U TOO」をリリース。しかしもうダンスミュージック自体にも飽きたのか、数作のリリース後は姿を見かけなくなりました。
現在彼は自らのルーツであるジャズに戻り、ユーロビートで養った電子音楽とジャズの融合という壮大な目的に取り組み、イタリアでライブ活動を行っています。またリミキサーとしていくつかのアーティストの作品をRemixしたりしています。
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