TIME-RECORDS Producer&Writers


Sergio Dall'Ora
Position
Producer
Carrier
DISCO CLUB('88)、FLEA(91〜92)、HAVANA Production(93'〜94')TIME RECORDS(89〜)

TIMEのユーロビート部門を統括する責任者として君臨し、楽曲の全てにおいて中心的な役割を果たしている”御大”プロデューサー。彼は”HAVANA PRODUCTION”という音楽制作会社の社長さんで、元々はイタリアンポップスやプログレッシブロックの制作に関わっていました。ユーロビート界には80年代中盤ごろからフリーランサーとして活躍していたようで、現在SAIFAM傘下のUNIONレーベル所属のRobert Arduni、Antonio Puntilloらとコンビを組みTIME以外にも「DISCO CLUB」、「FLEA」と複数のレーベルにおいて彼の名前を発見できます。

TIMEでの本格的な制作活動は89年ごろから。当時のチーフプロデューサーであるLaulent Gelmettiの元「VIDEO GAMES/DE NIRO」、「SHOCK ME/MIKE HAMMER」、「WHAT KIND OF CURE/LOU GRANT」等の名曲を制作。日本で巻き起こっていたパラパラブームにマッチしたミーハーなサウンドスタイルが人気を呼び、彼の名は少なからずユーロビートファンの元に浸透していきました。 またこの時代にはユーロビートだけでなくテクノ&ハウスにおいても制作活動を行っていました。ご存知「JAMES BROWN IS DEAD/L.A STYLE」で知られるHI-TENSIONレーベルではテクノサウンドを、FLEA傘下のMAITEY QUEENレーベルではArduni、Puntilloらと共に「X’TRA BEAT TEAM」なるチームのメンバーとしてイタロハウスを数曲制作していました。

そんな彼の転機は94年。これまでTIMEを支えていたL.GelmettiがTIMEでの制作を休業したことによりその後任としてチーフプロデューサーに抜擢されました。これを機会にユーロビートでは他レーベルでの活動を控え、TIMEに専念することになりました。Gelmetti時代の勢いを持続できるか心配されましたが、ほとんど失速させることなく相変わらずコンスタントにヒット作を量産していき、プロデューサーとしての実力も評価されることになりました。もちろんライターとしての才能もさらに開花、中でも「MAHARAJA NIGHT/LOU GRANT」、「PARA PARA PARA NIGHT/LOU GRANT」、「ROPPONGI NIGHT/DR.MONEY」などは徹底的に日本を意識した曲でディスコにおいて大ヒットを飾り、外部の人間ながらGiacomo Maioliniの絶対的な信頼を受けることになりました。

95年の作家の大量移籍に見舞われた時も、L.Pernici&G.Gambogi、D.DI Marcantonioといった新しく、かつ実力あるプロデューサーと契約することになり、ここでは作家の個性を重視、彼らの制作のサポートに徹することにより、逆にこれまでのTIMEにはない斬新な流れを作り出す事になりました。また自ら制作する楽曲においても誰にでも親しみやすいPOPなスタイルで曲作りを進め、またL.Deganiという新人のプロデューサーを起用して共同で制作を行いそのペースを落とすことなく精力的に制作活動を続けています。また新たな企画として始まったJ-POP Remixの分野においては「Face the change/Every Little Thing」、「Love Impact/MAX」などがフロアで大ヒット。この分野においては他レーベルを圧倒する高評価を受けています。98年にはMarcantonio、99年にはL.Perniciが離脱し現在のメンバーはL.Deganiのみとまたまた危機的な状況に陥ってますが、Perniciの元パートナーGiordano Gambogi、旧友のTheo Spagnaを迎えさらに苦難をのりこえていくことでしょう。
<関連>Havana Studio
Desenzanoにあるダローラさんのスタジオです。ここではユーロビートだけではなくイタリア国内向けのポップスやダンスミュージックが制作されています。

 

Luca Degani
Position
Producer,Sound Engnner
Carrier
TIME

Artistic ProducerとしてDall'Oraを力強くサポートするクリエーターです。彼はキーボードやアコーディオン(!)などが弾けるミュージシャンでイタリアのミュージックシーンでアーティストのバックバンドを務めていましたが、96年にHAVANA STUDIOに所属。デビュー作は「PEOPLE OF MUSIC/LOU GRANT」。すぐ後にリリースされた「SUPER SONIC FIRE/ATRIUM」では、いきなりレコーディング&ミキシングエンジニアとしてクレジットされ、徹底的にアグレッシブに攻めたスタイルが大ヒット。新人ながらその実力と早くから曲作りに対して重要なポストに位置していたことに少なからず彼への注目度が高まりました。

この後もDall’Oraと共に精力的に曲つくりに参加し続けその数はその年のTIMEにおける制作曲の約3分の1にものぼりました。しかしこの辺ではまだまだDall’Oraのサポート的な役割を担っていたようです。 しかし97年に入り彼の頭角がじわじわと現れてきました。きっかけはやはり「Dream/ROSE」から「Artistic Producer」としてクリエイトの中心的立場に抜擢されたことでしょう。そして「LONELY LOVE/SOPHIE」、「DON'T YOU(I FORGET MY LOVE)/SOPHIE」は激しいリフ&ビートに哀愁メロディが見事に融合したサウンドがヒット。最近では「A SONG FOR YOU/ROSE」がヒットし、J-EUROとしてFolder5にカバーされました。

彼の得意とする作風は哀愁と基調としながらも、POP感覚のテイストをふんだんに盛り込んだ個性的なサウンド。それはディスコ向けに制作されたというよりヒーリングミュージックとしての傾向が強く、現在のユーロビートマーケティングの方向性にマッチした楽曲でもあります。ドラスティックに転調していくメロディライン、ライトフュージョンを彷彿とさせるような繊細で心地よいシンセやベースライン、ピアノをふんだんに盛り込んでいる点は彼ならではの特徴があると思います。今ではTIMEサウンドには欠かせない重要なライターどころか、Dall'Oraに代わって制作現場のキーマンとして活躍しており、これからが非常に楽しみなプロデューサーです。

 

Giordano Gambogi
Position
Composer,Artist
Carrier
A-BEAT C→TIME

”Aranda”というユニットバンドを結成し、ボーカルとベースを、そして噂に名高いLadri di Biciclette(自転車泥棒)というグループのリーダーとして イタリアだけでなくヨーロッパからオーストラリアまでそこそこ名の知れたアーティストとして 活躍されている彼。他にも複数のバンドに参加していて、マルチタレント的な魅力を備えた人物です。

そのかたわらユーロビートの作曲活動を行ってきました。A-BEAT C時代には主にBLACK POWERの楽曲を担当。「CAROLINE」、「ARE YOU READY FOR ME」、そしてUBもカバーし大ヒットとなった「PEOPLE OF THE NIGHT」の作曲は彼の手によるものです。TIME移籍後は一貫してL.Perniciのパートナーとして数々のナンバーの作曲を手がけてきました。日本的な情緒に通じるナイーブで繊細なメロディラインが美しく、それでいて渋い大人のムードにも包まれているのが最大の特徴です。派手なPerniciのアレンジワークとは対照的に位置するテイストをもっていますがそのミスマッチ感覚をうまく融合したことがヒットを連発できる要因となったのでしょう。第一弾となった「MUSIC FEVER/DJ. LUKE PENN feat.Mr.M」、「HALELUYA TOKYOLUKE PENN feat.TIME FORCE」、「DANCIN FOREVER/TIME FORCE」などは特に大ヒットしました。

そしてもう一つの顔がボーカリストとしての一面。MR.M、TRIUMPH等のボーカルを務め、個性的なアーティストの少ないユーロビート界に稀な存在となっていました。PerniciがTIME離脱後、共にMPLへ参加。第一弾アーティストである「DESTINATION LOVE」のフロントマンとして活動しています。またA-BEAT CへもパートナーのMatteo Setti(MATT LAND)と一緒にスポット参加していました。しかしやはりこれほどのヒットを生み出したコンポーザーはTIMEもほっとくはずがなく(笑)、引き続きダローラの片腕として作曲、シンガーとして曲を乱発しています。



Theo Spagna(Giorgio Spagna)

Position
Composer
Carrier
CBS、ENERGY PRODUCTION、TSOB、 DWA,TIME

彼ほどユーロビート以外での活躍がすさまじい人はいないでしょう。特に本国では現在でも有名な作家であることはユーロビートにおいて約10年あまりに渡って作り出した極上のメロディの数々が証明してくれます。

イタリア.ベローナで生まれた彼はあだ名を”Theo(テオ)”といい、姉であるIvana Spagnaと共に幼い頃から音楽に親しんできました。18才になろうとした1986年、ディスコシンガーとして活動していたIvanaが「SPAGNA」としてアーティストデビュー。彼もその制作チームの一員として行動を共にすることになりました。メジャーレーベルCBS所属だった「SPAGNA」は折りからのハイエナジーブームと重なってデビュー作「EASY LADY」から出す曲ごとに知名度をまし、87年には早くもアルバム「DEDICATED TO THE MOON」をリリース。全曲英語で作られたという気合の入ったアルバムでその中からシングルカットされた「CALL ME」はヨーロッパ、アメリカ、そして日本と世界中へ飛び火するほどの大ヒット。特にイギリスでは50万枚を売り上げ、日本ではTV-CMにも使われるなど一躍ディスコクイーンの名をほしいままにしました。

この曲で彼はあだ名のTheo名義で作曲と編曲を担当。姉の情熱的な歌声はもちろん、英語圏でのヒットを狙ったという敏腕プロデュースワーク、そして繊細なアレンジに対しても高い評価を受けました。現在Spagnaは本国を拠点にイタリーポップス路線に転向しましたが、今でも精力的に曲を出し続けており、98年にはイタリア最大の音楽イベント「サンレモ音楽祭」にも出場。依然根強い人気を誇っています。

さて、ユーロビートに置ける活動ですが、元々ハイエナジーを作っていただけあって89年頃から幅広いレーベルに関わっていました。特に有名なのがENERGY Pro.初期の代表アーティストといえるFUN FUNの一連のヒット曲にほとんど携わりヒットメーカーとしてワールドマーケットにも通用するその類まれな才能をまざまざと見せつけていました。

その後しばらくは成りを潜めていましたが、92年、古くからの友達であったSergio Dall'Oraの紹介でTIMEと契約し主にコンポーズを担当していました。 ここからが彼の第二期の活躍。ハイペースに制作しながらも常に他には真似ができないワンランク上のポップスメロディを生み出し続け、その作品のどれもが伸びやかな爽快さと心に迫る哀愁感が同時に楽しめる鮮やかなテイストが盛り込まれていました。表にはなかなか出ない地味な存在ではあったものの、彼がコンポーズした作品はリスナーはもちろん、フロアでも受け入れられ、パラパラも良くついていました。初期の頃には「AFRICA/DAVE HAMMOND」などを制作。そして94〜95年にかけては大活躍。「OH MY OWN/SILVER」、「ON FIRE/SALLY RENDEL」などがビックヒットしました 95年まではTIMEレーベルにいなくてはならない特色ある作家として楽曲を量産していましたが、そのころからどうやらEURO-DANCEに代表されるようなDANCE POPの分野にシフトしたようでROBYXが設立したDWAなどのレーベルに活動拠点を移すようになりました。TIMEにおいてはこの時から作詞を除いて楽曲を完成させるまでの全ての仕事を自分でやっていました。その代わりめっきり曲数は減りましたが(泣)。そして97年の「UNBREAK MY HEART/RICCARD GRAY」を最後にTIME-RECORDSから、そしてユーロビート界から姿を消すことになりました。。。。


と思ったらTIMEのライターが激減したことにより困ったDall'Oraさんから再びお呼びがかかり(笑)、あだ名のTheo名義で見事復活。最近のユーロビートの傾向の変化に伴って今までよりはポップス性に富んだ作風になっていますがところどころに見え隠れする得意の哀愁メロディは健在です。