VIBRATION Producer&Writers



Luigi Stagna
Position
Producer
Carrier
LED RECORDS

LED RECORDSの総帥でVIBRATIONではExective Producerとして君臨しています。彼は80年代始めからイタロディスコ界で姿をあらわし、マイナー系ディスコレーベルのプロデューサーとしていくつかの楽曲に名を連ねていました。90年代初めから主にハウス、クラブミュージックのジャンルにシフトし、92年からはDISCO MAGICをディストリビューターとして自らのレーベル「LED RECORDS」を設立。イタロハウスを主軸にコンスタントに楽曲をリリースし、中でも現FARGETTAのPIETRO ROSSINIとFabirizio Rizzoloという2人の大物を起用して制作された「CHANGE THE WAY/MARIA SHORT」は日本のディスコシーンを中心にで大ヒット。これ一曲で中堅レコードメーカーとしてその地位を確立しました。

しかしイタロハウスブームが次第に下火になるとA-BEAT Cと提携して楽曲をリリースし始めますが、トラブルによりわずか数作で白紙に。この頃から密かにユーロビート参入を計画するのでした。そして日本においてAVEX D.Dとレーベル契約を交わしましたが、それには実力あるライターを揃えることが条件となっていました。この問題をクリアすべく彼は自らの豊富な人脈で80年中期から活躍しているユーロビート界の重鎮であり、それまでは主に「TIME」で活躍していたGino Cariaを制作のトッププロデューサーに据えることに成功。 第一弾となったのは「HEY HEY BABY CRY/DEE DEE」。爽やかな曲調が一躍注目されスマッシュヒットを記録しました。他にもGino Caria自らのユニット「FLLIPIN’ OUT/JACKIE O」、Gino Cariaの縁でNORMA SHEFIELDがボーカリストして参加した「TIME TO FLY/SHARON K.」も話題になりました。早くもこの三作品において、早くも”VIBRATION”という楽曲イメージが確立、当時のユーロビートとは一線を画す爽やかなシンセサイザーの音色とバックシーケンスに代表される、単にディスコマーケット用に生産される楽曲ではなく、リスニングユーザーにも十分に受け入れられる正に現在のユーロビートの行く末を先取りする斬新な方向性を示していました。

そしてVIBRATIONの勢いは止ることなく、後にD&Dがカバーした哀愁の名作「BE MY LOVER/MARIA VALENTINO」、同じくGino Cariaボーカルの「DIABLO MAN/JIMMY BRAVO」などをリリースしますが、ここからVIBRATIONは転落の一途をたどることになりました。まず96年末にはサウンドのアレンジ、マニュピレートを担当していたStefano CastagnaとEvelina Somenziが突如離脱。フリーのチームとしてA-BEAT C傘下のDOUBLE RECORDS(現SCP)での楽曲制作担当に収まりました。そしてVIBRATIONの命運を事実上決定づけたのがチーフプロデューサーであったGino Cariaが97年初めに亡くなったことです。この情報はVIBRATIONだけでなくユーロビート全体にとっても大きな痛手となる衝撃的な出来事として業界全体を駆け巡りました。 この後VIBRATIONはCariaの遺志を引き継いだDavide Di Marcantonioの作品を中心に残ったLuigi Stanga、Albert Ferraris、そしてフリーライターであるAnelly Gordonともスポット契約し、精力的に楽曲を発表していきますがやはり制作の中心メンバーが抜けたことで設立直後の楽曲とは明らかに質が低下していたことは否めませんでした。そしてその理由でついに契約は打ち切り。楽曲自体はユーロマッハまでリリースされますが、それはいわゆる”蔵出し”によるものでした。

しかし、ユーロビートへの執着を捨てきれなかったのか、2年後の3月、新たなユーロビートコンピレーションを画策していたビクターと電撃的にライセンス契約。かっての同志であるMarcantonioを呼び寄せ「ユーロパニック!」の一レーベルとして新たなスタートを切りました。VOL1に収録された「KING OF FIRE」が大ヒットをおさめ、これを見たAvexは再びVIBRATIONが良質の曲をリリースできると判断。Saifamとの関係が悪化していたこともあって直ちに再契約を結び、彼の経営者たる実力をみせつけ、VIBRATIONをカムバックさせることに成功しました。現在はDi Marcantonioとのコンビでリリースに取り組んでいます。


Davide Di Marcantonio
Position
Producer,Composer,Artist
Carrier
TIME,VIBRATION,DOUBLE

現VIBRATIONの実質的な制作プロデューサーとして君臨する若手プロデューサーです。彼もやはりプロのミュージシャンとして活動することを目指していて20代からかの有名なGino Cariaに弟子入り。彼のもとで作曲、ボイストレーニングなどの修行を重ねながら習作的な楽曲をTIMEに提供していましたがそれはさっぱり認められることはありませんでした。

94年に「TOKYO GUYS」という曲にはじめてクレジットされ、ようやく一人前の作家として活動するようになりました。直後Gino CariaがVIBRATIONを立ち上げることになり、彼も行動を共にすることになりました。ここでは”DEE DEE”としてついにアーティストデビューを飾ることにもなり、第一弾となった「HEY HEY BABY CRY」はこれまでの作風を覆す爽やかさがウケてシーンで大ヒット。この成功に驚いたTIMEはそれまで彼が作ってお蔵入りになっていたデモを急遽使うことを決めてしまうほど衝撃的なことでした。後に98年のVIBRATIONの一時崩壊まで彼はDEE DEEを中心に十数作の楽曲を提供していました。

VIBRATION崩壊後は古巣のTIMEからお声がかかり、Artistic Producer待遇で楽曲提供を開始。ここで彼はコンポーザー、シンガーだけではなく、ミックス、マニピュレートといった工程の全ての部分に関わることになり、多数の楽曲をリリース、中でも「DON'T STOP THE MUSIC」、「STAY」は数少ないTIMEのヒット作となり、特に重厚なサウンド作りに持ち味がでてきたことから”音の革命児”として一躍注目されることになりました。またこの頃からダンスポップの仕事も引き受けるようになり最初にFIREMANというプロジェクトに参加。その後Habegaleという自らのプロジェクトを作り、オランダを中心にリリースし成功をおさめました。このどちらの曲とも日本ではダンスマニアに収録されています。

TIMEには約一年の契約期間を満了後、今度はかってのVIBRATION仲間であったStefano Castagna率いるDOUBLE Rec(現SCP)へ 。コラボレーターとして、そしてDAVE MC LOUDというアーティストネームを使いシンガーとしても活動。「MIKADO」などのヒット作をリリースしました。同時にダンスポップの分野ではLuigi Stangaとの再コラボレートを開始。ウルトラダンス、ダンスマニアにいくつかの楽曲が収録されました。

しかし2000年に入り、LED RECORDSが「ユーロパニック」に楽曲提供をはじめるにあたり、Luigi Stagnaからプロデューサー待遇での誘いを受け、彼はSCPを離脱。7月にリリースされた第一弾「KING OF FIRE」がヒットしました。現在ではユーロパニック用のレーベル「ENERGY REVOLUTION」、そして再復活を遂げた「VIBRATION」両レーベルのプロデューサーとして独立を果たし、コンスタントに楽曲をリリースしています。


Albert Ferraris
Position
Producer,Composer
Carrier
TIME

VIBRATION設立から消滅まで一貫してGino Caria、そしてLuigi Stangaをサポートし続けた忠臣(笑)。彼は元々Stefano Castagnaと知り合いで彼のスタジオのコラボレーターとして活動していました。CastagnaがA-BEAT Cレーベルへ制作メンバーとして関わると同時に彼もユーロデビュー.DAVE RODGERSのプロデュースの元、十数曲のコンポーズに携わり、「ELECTORONIC POWER/MIKE SKANNER」、「FUN FUN BOY/GO GO GIRLS Feat..ANNALISE&VIRGINELLE」 といった初期のヒット作を生み出しました。

StefanoがA-BEAT Cから手をひくと同時に彼もその一線からは消え、しばらくは裏方として音楽活動を続けていたようです。しばらくのブランクの後、94年から今度はTIMEレーベルにおいて楽曲提供を開始。「I'M A SINGLE MAN/MIKE FREEMAN」、「COME TO MY BEDROOM/CHESTER」などCaria、 Castagnaと共に活動を続けました。そして96年からはVIBRATIONへ。アレンジャー、コンポーザーとして抜擢されリリースされたほとんどの作品に携わりました

。97年になってStefanoの離脱、Cariaの死とVIBRATIONはとても苦しい状況に追い込まれますが、Ferrarisは彼の才能を高く評価していたLuigi Stangaの元で仕事をすることを決め、以後最終作まで一貫してクリエイトに携わりました。現在は音楽活動を止め、スロットマシンの営業という全然別の仕事をやられています。


Ezio Franzoni&Anna Gotti
Position
Composer
Carrier
DISCO LAND,TIME

ただのWriter陣の一人かと思いきや実は相当長くキャリアを持つ人です。彼はブレーシャにあるDisco Landという音楽プロダクションの社長さんで昔からHI-NRG、Italo Discoなどのダンスミュージックのプロデューサーとして活躍。89年からは自らのレーベルを設立し楽曲をリリースしながら、TIME Recordsなどのレコード会社に楽曲を提供。その中でも「HI DEE HO WITH THINK DOLLY/KARINA」が有名です。その後の活動は全く不明ですが(笑)96年、ライター不足にあえぐLuigi Stangaの要請でVIBRATIONに2〜3曲を提供。「GO GO BABY/BETTY BLUE」がマニアの間ではスーパーヒットしました(爆)。ちなみに今なにやってるかも不明(^^;、生きてますか〜。Annaさんは彼の奥さんで作詞を担当しています。

 

Nicola Arvati

Position
Composer
Carrier
A-BEAT C、VIBRATION

こちらもライター不足時に頼った作曲担当。A-BEAT CでWE COME TOGETHER/SOS feat.ANNALISEという曲を作っています。VIBRATIONでは「ALWAY IN MY MIND」、「FEEL IT FEEL IT」計2曲のコラボレートに終わりました。


Susanna Dal Gesso

Position
Composer.Artist
Carrier
VIBRATION

「MIDNIGHT SONG」ただ一曲に参加した作曲家(^^;。といってもアーティストとしてはLUNAをはじめ、複数の名義で頻繁に参加しています(もち、この曲も彼女が歌いました)。本業はポップスやR&Bを作っている女性コンポーザー&シンガーでイタリアではたまにライブもやってるそうですよ。